ベーマガ2.0
「ベーマガ2.0」が日本のゲーム産業を救う デジタル家電&エンタメ-最新ニュース:IT-PLUS
その昔、マイコンBASICマガジン(Wikipedia)という雑誌があった。
通称「ベーマガ」。
この雑誌が、自分のプログラマ・エンジニアとしての原点である。
・・・という人は、意外にも多いのではなかろうか。
# 特に30代後半〜40代。通称「アラフォー」というらしいが。
「コンピュータ、ソフト無ければただの箱」
と良く言われるように、パソコンはソフトが無いと何も出来ないに等しい。
今みたいにWindowsなどのOS(基本ソフト)が全く無い状態では尚更だ。
とはいえ、パソコンのソフトは非常に高価な物だったし
数もそんなに無かった。
当時、大ブームとなったファミコンとは違って
自分でプログラミングさえすればソフトが出来る・・・
というのがパソコンと(ゲーム専用だった)ファミコンとの違いだったが
その敷居は高かった。
# のちに「ファミリーベーシック」というファミコンでBASIC言語を動かせるものが出来たが・・・
まず何から始めればよいのか。
満足に動くプログラムをどう作れば良いのか。
ベーマガがすべて答えを出してくれていた。
その昔、マイコンBASICマガジン(Wikipedia)という雑誌があった。
通称「ベーマガ」。
この雑誌が、自分のプログラマ・エンジニアとしての原点である。
・・・という人は、意外にも多いのではなかろうか。
# 特に30代後半〜40代。通称「アラフォー」というらしいが。
「コンピュータ、ソフト無ければただの箱」
と良く言われるように、パソコンはソフトが無いと何も出来ないに等しい。
今みたいにWindowsなどのOS(基本ソフト)が全く無い状態では尚更だ。
とはいえ、パソコンのソフトは非常に高価な物だったし
数もそんなに無かった。
当時、大ブームとなったファミコンとは違って
自分でプログラミングさえすればソフトが出来る・・・
というのがパソコンと(ゲーム専用だった)ファミコンとの違いだったが
その敷居は高かった。
# のちに「ファミリーベーシック」というファミコンでBASIC言語を動かせるものが出来たが・・・
まず何から始めればよいのか。
満足に動くプログラムをどう作れば良いのか。
ベーマガがすべて答えを出してくれていた。
ベーマガには機種ごとにソースコードが載っていた。
紙媒体を見ながらソースコードを入力する訳だが
当然、タイプミスも多くなる。
ようやく入力し終えても、動かしてはエラー、動かしてはエラー。
エラーが無くなったと思ったら、変な挙動をしたり。
# この作業を「デバッグ」という
今思うと、途方もなく大変な作業だと思う。
(少なくとも、今やれと言われても「やりたくない」(笑)。)
ほとんどのソースコードがゲームだったから
「タダでゲームができる!」というのが主なモチベーションだったかもしれない。
# 今も刊行中の「I/O」という雑誌ではなんと懐かしの「ソノシート」でプログラムを提供していたことがある。
# データレコーダ(カセットテープ)に録音してテープから読み込ませるというかなり画期的な方法だったように思う。
打ち込みが終わり、
きちんと動くことが確認できたら晴れて遊べるわけだ。
が、打ち込む人の事を考えてそうなっていたようだが
ソースコードは数十行〜百行前後しか無い。
内容もあまり詰め込めないために、ある程度遊んでしまえば飽きる。
そうなると、次のステップは「改造」である。
打ち込んでデバッグを繰り返していると
「ここはだいたいこういう事をやっている」ということが分かるようになっていた。
10を20に変えたらスピードが速くなったとか、自機が増えたとかそういう類から始まって
キャラクター自体を作り直したり、効果音をつけたり。
人気のある(ユーザーの多い)機種は毎月のようにソースコードが掲載されるわけだが
この雑誌の良かったところは、
終息してしまった、市販のソフトさえ探すのが難しいマイナー機種でも掲載していたところだろう。
#当時、パソコンはメーカー間でプログラムの互換性が無かった。
# PS2のソフトがXBOXやWiiで動かないのと一緒、と言うと分かりやすいかもしれない。
しかも、他の機種でも遊んでみたいと思う魅力的なソフトがたくさんあった。
機種が違っても、言語としては殆どがBASICという言語なので
機種依存の命令を除けば、何をやっているか殆どは理解できたし
その機種依存の命令や、機種ごとの特徴も何ヶ月に一回かの頻度で講座があったおかげで
「移植」というステップに進むことになる。
この作業は実は結構大変である。
何せ、持っていない機種のソースコードと紙面にある画面から
仕様をある程度判断しながら、自分の機種に置き換えるのだ。
晴れて動いたとしてもまともに動かなかったり
すごく動作が遅かったりと、徒労に終わることもあった。
# もちろん、掲載されているもので移植ものもたくさんあった。
# それを参考にして、「移植の移植」ということもしてみたことがある。
もうここまで来ると、
次は「自分でオリジナルを作る」という所まで行く。
やってみると、ゲームはつくづく「アイデアの塊」だと感じた。
「これは面白いはず」と思って作った物が面白くなかったり
改良に改良を重ねても、やっぱり面白くなかったり。
「何か動く物が出来た」という意味ではカタルシスを味わえたが
そういう意味では、「自分にゲームを作るセンスは無い」と思うようになっていた。
実はベーマガに、一度だけ掲載されたことがある。
これは自分の(プログラマとしての)誇りでもあり原点でもある。
勢いで投稿して、その存在も忘れかけていたほど経った頃に
突然掲載誌と(掲載料の)郵便小為替が送られてきたのである。
何本かをまとめて投稿したのだが
掲載されたのは本命のゲームではなく
実用ツールだったところが自分らしい。
非常に嬉しかった。
雑誌に自分の名前がそのまま載っているという快感。
まさか載るとは思っていないから、ペンネームもつけずに投稿したからだが。
# 名前に誤字があったのはご愛敬。
それと、原稿料。
(1万円の源泉徴収で)9000円だったが、
プログラムでお金を貰ったのはこのときが初めてだった。
高校ではアルバイトが禁止だったため、
9000円はかなり嬉しい臨時収入だったように記憶している。
大学受験が始まってから、ベーマガを買うことは無くなった。
パソコンに対する情熱は音楽(ギター)に費やされることになる。
# もっとも、音楽にベクトルが向いたのは半分ベーマガのお陰なのだけど。
時々、本屋で立ち読みをする程度となったが
ある日、風の便りに「休刊する」という話を聞いた。
これも時代の流れだろう。
あれから20年。
今でもふと思い出したように読みたくなる雑誌の1つである。
当時の魅力をそのまま残しての復刊は難しいだろうが・・・
紙媒体を見ながらソースコードを入力する訳だが
当然、タイプミスも多くなる。
ようやく入力し終えても、動かしてはエラー、動かしてはエラー。
エラーが無くなったと思ったら、変な挙動をしたり。
# この作業を「デバッグ」という
今思うと、途方もなく大変な作業だと思う。
(少なくとも、今やれと言われても「やりたくない」(笑)。)
ほとんどのソースコードがゲームだったから
「タダでゲームができる!」というのが主なモチベーションだったかもしれない。
# 今も刊行中の「I/O」という雑誌ではなんと懐かしの「ソノシート」でプログラムを提供していたことがある。
# データレコーダ(カセットテープ)に録音してテープから読み込ませるというかなり画期的な方法だったように思う。
打ち込みが終わり、
きちんと動くことが確認できたら晴れて遊べるわけだ。
が、打ち込む人の事を考えてそうなっていたようだが
ソースコードは数十行〜百行前後しか無い。
内容もあまり詰め込めないために、ある程度遊んでしまえば飽きる。
そうなると、次のステップは「改造」である。
打ち込んでデバッグを繰り返していると
「ここはだいたいこういう事をやっている」ということが分かるようになっていた。
10を20に変えたらスピードが速くなったとか、自機が増えたとかそういう類から始まって
キャラクター自体を作り直したり、効果音をつけたり。
人気のある(ユーザーの多い)機種は毎月のようにソースコードが掲載されるわけだが
この雑誌の良かったところは、
終息してしまった、市販のソフトさえ探すのが難しいマイナー機種でも掲載していたところだろう。
#当時、パソコンはメーカー間でプログラムの互換性が無かった。
# PS2のソフトがXBOXやWiiで動かないのと一緒、と言うと分かりやすいかもしれない。
しかも、他の機種でも遊んでみたいと思う魅力的なソフトがたくさんあった。
機種が違っても、言語としては殆どがBASICという言語なので
機種依存の命令を除けば、何をやっているか殆どは理解できたし
その機種依存の命令や、機種ごとの特徴も何ヶ月に一回かの頻度で講座があったおかげで
「移植」というステップに進むことになる。
この作業は実は結構大変である。
何せ、持っていない機種のソースコードと紙面にある画面から
仕様をある程度判断しながら、自分の機種に置き換えるのだ。
晴れて動いたとしてもまともに動かなかったり
すごく動作が遅かったりと、徒労に終わることもあった。
# もちろん、掲載されているもので移植ものもたくさんあった。
# それを参考にして、「移植の移植」ということもしてみたことがある。
もうここまで来ると、
次は「自分でオリジナルを作る」という所まで行く。
やってみると、ゲームはつくづく「アイデアの塊」だと感じた。
「これは面白いはず」と思って作った物が面白くなかったり
改良に改良を重ねても、やっぱり面白くなかったり。
「何か動く物が出来た」という意味ではカタルシスを味わえたが
そういう意味では、「自分にゲームを作るセンスは無い」と思うようになっていた。
実はベーマガに、一度だけ掲載されたことがある。
これは自分の(プログラマとしての)誇りでもあり原点でもある。
勢いで投稿して、その存在も忘れかけていたほど経った頃に
突然掲載誌と(掲載料の)郵便小為替が送られてきたのである。
何本かをまとめて投稿したのだが
掲載されたのは本命のゲームではなく
実用ツールだったところが自分らしい。
非常に嬉しかった。
雑誌に自分の名前がそのまま載っているという快感。
まさか載るとは思っていないから、ペンネームもつけずに投稿したからだが。
# 名前に誤字があったのはご愛敬。
それと、原稿料。
(1万円の源泉徴収で)9000円だったが、
プログラムでお金を貰ったのはこのときが初めてだった。
高校ではアルバイトが禁止だったため、
9000円はかなり嬉しい臨時収入だったように記憶している。
大学受験が始まってから、ベーマガを買うことは無くなった。
パソコンに対する情熱は音楽(ギター)に費やされることになる。
# もっとも、音楽にベクトルが向いたのは半分ベーマガのお陰なのだけど。
時々、本屋で立ち読みをする程度となったが
ある日、風の便りに「休刊する」という話を聞いた。
これも時代の流れだろう。
あれから20年。
今でもふと思い出したように読みたくなる雑誌の1つである。
当時の魅力をそのまま残しての復刊は難しいだろうが・・・
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